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世は戦時へと進み、産めよ、増やせよの世情となり、生活に困り、子どもを捨ていく人も多くなり、その殆どが大阪府がお世話することとなり、養育料の支払いも府の方で一括支払いされ、小学校の講堂が支払い場所となった。当時、東京では、児童の健全育成を目的として、全国愛護連盟が出来、陸軍大将荒木貞夫閣下がこれを聴取されることとなり、本村に来所され、大きい児童は学校に集められ、閣下は教師にお礼とお願いをされ、子ども達には、良い子になって、逞しい人となるように、訓示されたのである。帰り際、色々な児童が存在しているので、これらの児童を見守るために、この制度を是非、法文化しなくてはと言い残して、村を去られたのであった。
数年後、戦火の災害は終ったが、児童の保護者の殆どは、大阪市内の方が多かったので、親が健在な児童は引取られた。しかし、家族がばらばらになったり、戦火のため、家もなく、両親も亡くなった人も沢山あった。ただ、預宅家庭に児童がよくなじみ、兄弟とも仲よくしているので、放浪させるのは耐えられないので、そのまま家族として生活することになった児童もあった。また、どうしても、家族の都合で引取りを希望する児童は大阪府が行っている弘済会に引取られた。

 

 

 

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